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なんとなく世界情勢???(長いので飛ばしたほうがよい)

冬コミ出すぞ!!と決定していながら3日ほど寝込んでしまいました(涙)
こんなんで大丈夫かしらん?と思いつつ、寝ながらラジオを聴きつつ色々思いました。

ミャンマーの民主化がある意味、また危険??になったそうな。
民主選挙で選ばれた民主化運動の旗手スーチー女史が独裁的になっていると。
==============以下、勝手な思い込みで長いです=============
実はわたくし、スー・チー女史って昔からちょっと微妙じゃないかしらん?と思っていたんですよね。その昔当時に聞いた話ではものすごい運動家かと思ったら88民主運動(民主化運動の表面化)からの参加でそれまではイギリスに留学していたと。しかも帰ったのは運動のためではなく(そういう理由も少しある)母の看病の為とか。父がビルマ(ミャンマー)独立の父であるアウンサン将軍であることなので民主化運動に担ぎ出され、神輿の上の人物という印象でした。だって本人はビルマにたいしたことしてないように見えますから。日本で言えば政治家の跡目を継いだ娘みたいな感じに思いました。例えると親父が政治家としてがすごかったので娘もそうだろうと勝手に思われて政治家になった人とか(お隣の国にも似た感じの方がいるような)、急死なさった政治家の娘が担ぎ出されれて「○○ちゃんならやると思ったよ♪」なんて側近にニュース番組で上から目線で言われてた娘さん二世議員とかいたような・・・。そういうのって見ていて、なんか微妙な感じがしてしまうんですよねえ・・・。当時からスーチー女史に辛辣な批評をする文化人も少数ながらおりましたし。

女史は日本にも留学していたことがあり、お父上のアウンサン将軍の研究をなされていたとか。

アウンサン将軍といえば最初は日本軍に協力していたが、負けが濃くなってくるとイギリスに寝返りをしたという印象ですが個人的には仕方ないと思うこともあります。それは「インパール作戦」を目の当たりにしたからでしょうか。多分、太平洋戦争中 最も無謀と言えるこの作戦に、ビルマ兵も極小ながら参加したらしいので、おそらく飢餓地獄の中「白骨街道」にビルマの兵士も骸を横たえた思うからです。参加しなくとも国内で戦われたあの作戦の悲惨な姿を見れば考えが変わってしまうかもしれません。

「インパール作戦」
インパール作戦とは1944年3月にはじまった日本軍の作戦で、ビルマを支配する日本軍がイギリスが支配するインドのインパールを攻略するのが目的でした。でもこの作戦には当初から多数の反対意見がありました。まず航空戦力の不足、作戦通路上にあるアラカン山脈は日本アルプスのような高山地帯でそれを越えていかねばならない、なによりも補給不足という問題がありました。しかしそれらの意見を押し切って無理やり作戦を遂行させたのはビルマに展開していた第15軍総司令官の牟田口廉也中将でした。。。補給が不可能だから絶対反対だと意見した小畑参謀を左遷してまで作戦遂行をしたのです。15軍を管轄するビルマ方面軍の司令も、その上の南方全体を管轄する南方軍の司令も「牟田口があれだけやりたい、と言っているのだからやらせてやろう」と作戦の許可を出しました。

作戦の北部をうけもつ第15軍配下の第31師団 佐藤幸徳中将は補給を心配して「俺は言われたことはやってみせるが、ちゃんと補給はしてくれるのだろうな」と作戦前から不安を言っていました。 「絶対補給は途切れさせない」という約束を左遷された小畑参謀からかわった補給担当に確約させ一筆かかせたりしたそうです。そしてその通り佐藤幸徳中将率いる部隊はコヒマを攻略しました。が、佐藤中将が恐れたとおり補給がまったく来なくなりました。「約束どおり補給をしてくれ」と言う佐藤中将の電報に対し作戦立案の責任者第15軍総司令 牟田口廉也中将は「佐藤の奴は弾が無いから、食い物が無いから戦えないとぬかしている。飲まず喰わず、弾が無くとも戦うのが皇軍(日本軍)だ」と側近に不満を言っていたそうです。

結局 佐藤幸徳中将は「傷病者多数、食料弾薬尽きて遺憾ながらコヒマを放棄する」と独断で撤退を開始しました。しかし大補給地であるはずのウクルルにも一粒の米も無く、その次のフミネまで撤退する事になります。が、この間に生き残った多くの将兵が飢えとアメーバ赤痢などの伝染病により命を落としたそうです。結局この第31師団の撤退が引き金となりインパール作戦は中止、日本軍は全軍撤退することになりました。その敗走路であるカレミョウからタムの道には飢えと病で命を落とした日本兵の死体が累々と続き、生存者はここを「白骨街道」と呼んだそうです。

もともと補給を考えたらこの作戦は小畑参謀が言うとおり無茶無謀な作戦だったのです。制空権をもつイギリスは空中投下という作戦で補給を続けられましたが 人と牛馬だけで日本アルプスを越えて3個師団に補給する物資も能力も、第15軍にもビルマ方面軍にも、つまり当時の日本軍には無かったそうです。しかしこの作戦の責任は独断撤退した佐藤幸徳中将だけに負わされ中将は左遷されました。作戦後、佐藤幸徳中将は「南方軍、総軍(ビルマ方面軍)、第15軍という馬鹿の3乗がインパールの悲劇を生んだのである」と記したそうです。

これを見たら「こりゃあかん」とアウンサン将軍が考えるのも無理ないような気がします。

このインパール作戦にはインド独立の貢献者の一人、チャンドラ・ボースが日本に支援を受けたインド国民軍を率いて参加しておりおそらく同じ地獄を経験したことでしょう。しかしボースは一貫して日本側でありました。
それは恐らくとりあえず独立をしていたビルマ(日本軍が駐屯してはいるけど)と いまだイギリスの植民地であるインドとの違いでしょうね。植民地支配は欧米の方がはるかに酷く投資などほとんど無くまさに「搾取」でしたから。ある意味これは皮肉をこめて、欧米の方が上手かったとも言える気がします。

敗戦ギリギリにイギリスと組んで日本軍と戦ったアウンサンですがそれでもしかし、かつての日本人の好意は忘れていなかったようで日本兵の撤退や戦犯になりそうな日本軍将校を救ったそうです。イギリスは戦後、約束を反故にしビルマ独立を許しませんでした。出ましたねえ、イギリスの二枚舌。中東に限らずインドーパキスタン問題も、このミャンマーもイギリスが撒いた種なのに・・・ですよねえ。でもこれは白人植民地すべてに言える事でしょうねえ。インドネシアも日本軍が撤退したらすぐにオランダが来たしベトナムにもフランスがまたまた支配しようとやってきましたから。。。以後アウンサンはイギリスと激しい独立交渉をしますが、独立直前に暗殺。暗殺犯は敵対野党でしたが裏にイギリスがいたという話は良く聞きます。。。

確かにお父さんはすごいけど・・・その娘だからってどうなのかしらん?と当時から思っていました。特に「イギリスに敵対する祖国ミャンマーは悪い」的な発言は日本で言うところのアメリカ帰りのアメリカかぶれ、ってより・・・かつての宗主国イギリスのスポークスマンのようにも見えちゃいます。ノーベル平和賞を取りましたがノーベル平和賞がものすごく政治的な賞であるのは誰でも知る所。やっぱりイギリスの影がちらちらする気がします・・・。

軍事政権と言われたミャンマーですがその成り立ちもあり親日的な国だったようです。「インパール作戦」関係の本を読むと本当かどうかはわかりませんが国旗掲揚にいまだに日本の軍歌が使われていたり遺骨収集には積極的に協力してくれたりしたそうです。反面、NHKがインパール作戦の番組を制作する時には色々規制され苦労したというような事も読みました。しかし初めてインパール作戦の地域撮影を許されたのは当時日本のNHKだけだそうで。そういう意味ではやっぱり親日的なのかもしれません。

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でもやっぱり女史は偉大な指導者なのかもしれません。非才な自分にはわかりかねるだけなのでしょう。今後はどうなっていくかはわかりませんし・・・などと徒然に思っております病床の今日この頃です。そんな事より同人描かねば・・・(汗汗)
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