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【続】ハッタリ、ハッタリ、でもハッタリではなかった!!

今年の春は雨が多い気がします。
しかも「春雨じゃ。濡れてゆこう」by月形半平太 なんてものじゃなく風雨レベルに近いもの。病院通いが苦難です。。。

先日の続きで「今日から 楠木正成登場!」です。ってなんか江戸時代の「太平記読み」(講談師)の宣伝みたいですが(笑)

後醍醐天皇が「御所の南に大木が生えているがあれはなんじゃ」「あれは楠(クスノキ)です。そこが天皇のおわすところです」というような夢をみます。そこで御所より南の地方を探させた所、河内国に楠木正成という土豪がいる。その楠木正成を御所に呼んだ事から後醍醐天皇と楠木正成の主従関係が始まります。ちなみにyoutubeにあるラジオドラマ?の太平記もここから始まってました。(ここだけしか聞いてないけど)

楠木正成は今から南部で挙兵し幕府と戦うと後醍醐天皇に献策し、後醍醐天皇は3度目の挙兵をします。しかし後醍醐天皇は赤坂城で敗れ鎌倉幕府軍に捕まってしまいます。が、楠木正成はその赤坂城で挙兵して籠城、そこで負けると今度は険しい山に立つ千早城に籠る。これが前回友人に言われた「ただのゲリラ戦だ」です。1000に満たない楠木軍に対し幕府は10万とも言われる大軍を出し包囲しますが2ヶ月経っても落とせず、その上正成はこの攻囲からまんまと逃げ延びてしまいます。その後は、突然現れては幕府軍の一部を打ち破り、そして消えていく。神出鬼没、まさにゲリラ戦を続けました。

主(あるじ)の後醍醐天皇が捕まっても、何故、楠木正成はこの戦法で戦い続けたのか。

当時、鎌倉幕府はガタガタでした。その主な原因は土地問題。「いっしょけんめい」です。
現在は「一生懸命」も「正解」になりましたが、正しくは「一所懸命」でこの時代の言葉だそうです。つまり「一所を懸命に守ること」
そして武士は自分の土地「一所」を保証してもらえる代わりに幕府に「懸命」に尽くす事でもあります。この関係が崩れつつありました。正成はこれを見抜いていたようです。なので坂東(関東)随一の弓取りと言われた宇都宮氏が出てくると「戦場で命を落とすなんて馬鹿な事」と言って兵を引いてしまった。ハッキリ言って逃げ出したんですね。そうやって正成は待っていました。

一体何を・・・?

鎌倉幕府はついに東国武士団最強で名門 源氏の足利尊氏の軍団を差し向けます。しかし足利尊氏軍団は京に近づくと突然停止して「後醍醐天皇に味方する」と宣言。鎌倉幕府に反旗を翻しました。そして播磨で挙兵した赤松則村の軍団と一緒に幕府の組織 六波羅探題を攻め落とします。
この報を聞くや否や各地で反幕府の炎が上がります。それ以前から挙兵はありましたが、何といっても源氏の名門 足利尊氏が挙兵したのが大きかったんですね。なんせ武士の棟梁はやっぱり「源氏」ですから。同時期に上野(こうずけ)では同じく源氏の新田義貞(にったよしさだ)が挙兵。坂東各地で有力武士団が挙兵し鎌倉を包囲。鎌倉は自然の要害ですが新田義貞は宝刀を海に投げ入れ、潮を引かせ(という伝説があり)その潮が引いた隙に鎌倉へ突入。ついには鎌倉を攻め落とし、当時の執権 北条高時以下800余人は自刃して果てました。その地は「腹切りやぐら」と言われ現在、関東で有名な心霊スポットになってます。

つまり楠木正成はこれを待っていたのです。

幕府はガタガタ、そこへもってきて少数の楠木正成をも討ち果たせない。それに仮に武功をあげてもこれでは大した恩賞も望めない。そう、武士たち(御家人)が「鎌倉幕府を見限る」のを待っていたのです。それまでは 少数の正成軍すら討てない という姿を見せ続けなければならない、「情けない鎌倉幕府軍」の姿を。だから「卑怯」と言われても死ぬわけにはいかなかったわけです(この事は後にもっとよくわかります)

これこそ戦略眼ではないでしょうか?だから前回「日本の武将には中国のような戦略眼を持った武将がいない」に対して「楠木正成は戦略家じゃない?」と友人に言ったのです。(あんなの「ゲリラ戦にすぎない」と言われても)

前回も書いたように後醍醐天皇の「建武の新政」はめちゃくちゃでした。この事で後には後醍醐天皇と足利尊氏は完全に反目。今度は足利尊氏が後醍醐天皇に対し挙兵し、京に攻め上ってきます。

この時代(つーか戦前まで)天皇家の敵、つまり「朝敵」になってしまうといわば日本全国の敵になる、と同意語でした。尊氏は最初、いくら後醍醐天皇と対立しても「朝敵」になるわけにはいかないと出家しようとします。が、後醍醐天皇の政治はめちゃくちゃ。武士はとても支持できない。なんとか尊氏に「征夷大将軍」」になって「幕府」をひらいて欲しい。それが多くの武士達の本音でした。

このとき尊氏には今風に言えば「カミソリ」というあだ名になるくらい有能な弟 直義(ただよし)がいました。直義(ただよし)は尊氏の出家を思い止まらせ、賊軍と言われようとも「君側の奸を討つべきだ」と尊氏を挙兵させます。

「君側の奸を討つ」つまり後醍醐天皇は悪くない、悪いのは回りにいる家臣だ。それを討って陛下をお守りするという。しかし本音は後醍醐方の武士 新田義貞、楠木正成、公家だけど奥州軍団を率いる北畠顕家(きたばたけあきいえ)を討ってしまえば後醍醐天皇は武力を失い、もはや何もできません。後は別系統の持明院統の天皇家が後醍醐天皇を「島流し」にでもすれば完全勝利になります。

「源氏の名門」という看板が物を言い、そして建武の新政のめちゃくちゃさに足利尊氏を支持する武士が集まり大軍に。しかし足利軍は京都に入ると楠木正成の謀略により新田義貞軍に大敗してしまうのです。足利尊氏は軍団を失い九州に落ち延びていきました。正成の謀略が勝ったとはいえ「尊氏は弓矢」と言われるほど「戦上手」な尊氏。それがこうも敗れたのは・・・やっぱり「天皇家に弓を引く」という負い目を感じていたせいかもしれません。

しかしこの時です。勝利をもたらした楠木正成が後醍醐天皇に信じられない献策しました。「今こそ足利尊氏と和睦しましょう。使者には私が参ります。尊氏と和睦したら(味方の)新田義貞など討ちとってしまいましょう」

尊氏の大軍を破り勝利の宴の最中、大敗した尊氏を呼び戻し和睦しよう、その上 味方の有力軍団 新田義貞なんか討ち滅ぼしてしまおう・・・こんな事言われたら「お前、おかしくなったのか?」と疑われたでしょうね、きっと。
でも正成には見えていたのだと言います。尊氏は必ず再起してまた大軍を率いてくることを。新田義貞(源氏)には武士の信頼は集まらないであろうことを。武士たちの信頼を得るには同じ源氏でも尊氏でなければならないこと、そして尊氏を「征夷大将軍」に任命して政治を任せるべきだ・・・と。(もしかすると北畠顕家も討ってしまえと思っていたかもしれません。が、顕家は高位の公家なので言えなかったのかも)

当然、後醍醐天皇はこの献策を無視しました。あんなに惨敗した尊氏に、勝った側の後醍醐方から和睦の使者を出すなんて、逆ならまだわかるが、考えられません。
しかし数年後、正成の予測通り尊氏は九州で大軍を集め攻め上ってきました。しかも今度は別系統の持明院統の光厳上皇から「新田義貞を討て」という治罰の綸旨(じばつのりんじ)も受けていました。つまり尊氏も「官軍(天皇軍)」となって攻め上ってきたのです。それにやはり 「源氏の名門」尊氏は武士たちの希望だったのです。尊氏の大軍との戦いが不可避となったこの時、ここでまた正成が献策します。

「一旦、京を尊氏軍に明け渡しましょう。そして京に入る補給路を断ってしまいましょう。尊氏は大軍だけにすぐ食糧がつき、弱体化します。そこを責めましょう」

この献策も後醍醐天皇は取り上げませんでした。せっかく回復した京を天皇である自分が離れたくなかったのです。しかし尊氏軍は迫っている。後醍醐天皇は正成に尊氏追討の命令を出します。

この時の楠木正成の心情は「君の御戦(くんのみいくさ)必ず破るべし」(今度の陛下方は戦に必ず負ける)

尊氏軍の大軍と正面から戦う。これはほぼ「死ね」と命令されたも同然でした。しかし楠木正成は出撃をする。かつて強敵 宇都宮氏が出張ってきたとき「戦場で命を落とすなんて馬鹿な事」と言っていた姿と全然違う。やはりあれは臆病で逃げ回っていたのでは決してなく まさに「戦略」だったのです。

死を覚悟した正成は息子の正行(まさつら)と有名な「桜井駅の別れ」をし新田義貞と共に戦いに臨む。「湊川の戦い」です。
しかし戦いが始まってすぐに新田軍は総崩れ。戦場には正成の700騎だけが取り残されました。それでもなお10万とも20万ともいう尊氏軍に対し三刻(およそ6時間)ものあいだ戦い、ついにこれまでとなり切腹しました。

こんな楠木正成が「ただのゲリラ戦」の武将とはやっぱり思えません。三国志に負けず劣らずの戦略家ではないかなあと思います、三国志の事全然知らないんですけど💦
確かに「太平記」は楠木正成の事を良く書く傾向が強く、信じられないところもあるそうです。そもそも「物語」ですしね、「桜井の別れ」も幼い息子に別れを告げたことになってますが、現在は息子 正行は30を超えていたことが判っています。しかし当時の「梅松論」や敵であった尊氏方の武将今川了俊の「難太平記」からも楠木正成の戦略眼は書かれているそうです。
そして太平記では楠木正成の死は、足利尊氏はもとより足利方の武将すべてが惜しんだそうです。

この逸話は第一次世界大戦の撃墜王「レッド・バロン」こと リヒトフォーヘン男爵の戦死を思い起こさせます。敵であった撃墜王の死を連合国軍は惜しみ、最敬礼の葬儀をあげたそうです。
また一旦京を明け渡し、補給を断って弱体化させてから攻めよう、という献策を後醍醐天皇から却下された姿は、第二次世界大戦、ドイツの東部戦線でマンシュタイン元帥が「一度戦ってわざと負けて撤退し、ソ連軍が攻め込んできた所を逆に包囲してしまおう」という「後の先」作戦をヒトラーが否定し「先の先」(とにかく攻撃)作戦に変えさせられたのを思い出します・・・。

…毎回ですが、長くなりちょっと微妙ですが今回はこれでおわりにしたいかなあと思います。。。。でも、

最近自分は何やってるのだろう、とふと思います😿

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Author:ふじさきまこと
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