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5年目の3.11です。

今日はあまり体調が優れず書く気分ではないのですが「東日本大震災」の日なので少しですが思い出を。

自分は東関東なので甚大な被害に遭われた東北各地の方々には頭が下がりますが、ここ東関東でも相当な揺れがあり部屋はめちゃくちゃになりました。その後余震もかなり大きいものが続き 一時マンションの外に退避していました。電話はまったく通じず、一時停電になったり、当時は車に乗っていましたが一部通行止めになっていて実家方面にいけなかった。そして次の日は混んだこともない地方道路までが大渋滞・・・。

しかし一番困ったのは震災後の物不足。特に乾電池と電灯、ラジオがどこにも売っていなかったのを覚えております。「計画停電」が予告されていたので、電灯とラジオは皆手に入れたかったんですよね(夜間に予定されていたりしました。夜の方が工場などに影響が出ないためでしょう。でも3月とはいえまだ霜が降りるんですよね)
仕方なくローソクにしようと100円ショップに行きましたが、これもどこへ行っても売り切れ。

そんな折、電話が通じるようになってから中京地区にお住まいの先生が援助物資を送ってきてくれました。これは本当にたすかりました。特にラジオと電池。この地からまったく無くなっていましたから。その折は大変ありがとうございました。ロクにお礼もできないまま、こんな具合になってしまって、情けないです・・・。

しかし、本当に甚大な被害を受けた東北地方より東関東は全然、全然マシでした。なにせ食料の供給は続いていましたから。近くのスーパーでもお米や野菜、水は端から無くなってしまうのですが、「弁当」は普段通り売られていましたし。その弁当を毎日3食分買って帰るという日々でしたが、食料の供給が続いているという事はこの辺りは全然大したことなかったということですね。水道も止まることはなかったし。思えば引っ越して以来、「ミネラルウォーター」ではなく水道の水を飲んだのもこの時が初めてだったかも。

その後、「米などを買い占めても、ただ悪くしてしまうだけ」という様な報道が流れて落ち着いていったと思います。関東はそうやって沈静化しましたが、当時東北地方はまだまだ・・・捜索活動も続けられておりました。

あれから5年超・・・。今は福島産の無洗米の世話になっています。

久しぶりにお酒を飲みました、と言うか飲んでます。

久しぶりにお酒を飲みました、と言うか飲んでいます。
薬の関係上、アルコールは厳禁となっているのですが、飲まずにはいられない事態がおきまして一人自宅で飲んでます・・・けど、マイナスなお酒はやっぱりいけません。今度は楽しいお酒を飲みたいものです。。。

これが原因でお酒を飲んでいるわけではないですが、本日のニュースで「聖徳太子論争と言うのがある」というのを見ました。聖徳太子というのは用明天皇の皇子(おうじ)、厩戸皇子(うまやどのみこ)のこと。実在の人物で初の女性天皇 推古天皇の摂政として活躍しました。推古天皇とは確か叔母と甥の関係だったかと思います。

「聖徳太子論争」というのは厩戸皇子が存命中には聖徳太子と呼ばれたことはなく、没後100年くらい後の書物「日本書紀」で出てくる名前だからです。つまり厩戸皇子は聖徳太子とは呼ばれたことはなく、かなり後になってつけられた称号であるのです。これを「聖徳太子は本当はいなかった」説と言うそうです。ですから、新年度の教科書には「聖徳太子」は出てこず「厩戸皇子」となっているのだそうで。もちろんこれには異論が出て国会でも論争になった。これが「聖徳太子論争」です。

ちなみに天皇の名前もここで言う称号です。例えば794年に平安遷都した桓武天皇の名前は山部(王)。生きている間には「桓武天皇」とは呼ばれませんでした。平安中期、小野小町の時代の仁明天皇(にんみょうてんのう)。本名は正良。当然存命中は「仁明天皇」とはよばれませんし、生きている間は「仁明」という言葉もありませんでした。天皇の名前というのは崩御後(死後)にその事績にちなんで付けられるもので、生きている間に付けられるものでは無いからです。(でも引退して上皇になった時には、称号で呼ばれる場合もありました)

しかし例外もあります。。それは後醍醐天皇と後村上天皇。後醍醐天皇の本名は尊治(たかはる)ですが「死んだら後醍醐と付けてくれ」と生前に言ったからです。後村上天皇は後醍醐天皇の皇子で跡継ぎ。これも後醍醐天皇が生前に決めた事でした。何故そうしたのか。それは醍醐天皇、村上天皇の時代を「延喜の治」と言い、摂政も関白もおかず、天皇親政の本当の統治が行われた時代として当時はあがめられていたからです。

ですから生前から「後」醍醐天皇、「後」村上天皇と決めたんですね。天皇親政を目指し3度も挙兵して鎌倉幕府を倒したエネルギッシュな後醍醐天皇らしい行為でしょうね。

でも本当の「延喜の治」の姿は菅原道真の憤死そして怨霊化、藤原純友そして平将門の乱が起こり怨霊化するという、とてもあがめていい時代ではありませんでした。そしてそれに憧れた「後」醍醐天皇も親政に失敗し、足利尊氏が離反して室町幕府を立てる。後醍醐天皇は大和(奈良)の吉野に逃れ憤死。跡を「後」村上天皇が継ぎます。これによって朝廷は大和吉野の南朝、室町幕府が支える京都の北朝に別れ、抗争を続けることになります。これがいわゆる「南北朝時代」です。。。

ちょっと前置きが長かったですが、聖徳太子もこの「称号」に当たるのではないかと。ならばもし「聖徳太子は本当はいなかった、いたのは厩戸皇子だ」とするなら「桓武天皇はいなかった、いたのは山部王だ」「後醍醐天皇はいなかった、いたのは尊治だ」になってしまわないかと・・・まあ、これはほんと~~~~に極論ですがね~(苦笑)

実はこの聖徳太子という称号にはかなり謎があるのです。これについては哲学者で仏教学者の梅原猛が「隠された十字架ー法隆寺論」やその他の著作で書いているのですが・・・酔っぱらってしまってちょっと今日はキツくなりました。。。かなり尻切れトンボですが、この辺りで失礼しますです。ごめんなさい…。

自転車で盛大に転びました…

近くのスーパーに自転車で行った際、帰りに盛大に転倒しました。
確かにコメ5kg、2Lの水3本持って不安定でしたけれどこんな大げさに転んだのは何年振りでしょうか。家で見たらタマゴが半分割れてました。無理矢理卵焼きにでもできるでしょうか💦

まあ、薬のせいもあります。新しく出た薬は効き目はいいのですが効きすぎて時々フラフラしたりする。やっぱこのセイか、はたまた年のセイか。もう病気で弱った父のことは笑えません(って笑った事など無いですが)

此のところ「貞子VS加耶子」英語版がお気に入りで何べんも繰り返し見ています。
ーーーーーネタバレありですーーーーーー
英語の吹き替えが絶妙で口の動きが本当に英語をしゃべっているように見える(笑)
ハリウッド映画の日本語吹き替えを見たアメリカ人は同じように感じるのでしょうねえ、きっと。

「呪いのビデオ」を見てしまった女子大生夏美、そして側にいたが見なかった由梨。ビデオの呪いは夏美だけにかかってしまう。大学の民俗学教授で「都市伝説-呪いのビデオ」を研究している森重に相談すると「霊媒師」(もしくは「新興宗教教主」)の法隆の元へ行って呪いを解くことになる・・・

前半はこんな感じです。「霊媒師」もしくは「新興宗教教主」の法隆氏(おばちゃん)の事を「マダム・ホーリュー」と訳しているのが興味深かったです。そういえば向こうの女性霊媒師は「マダム○○」ですもんねえ。一番有名なのは「マダム・ブラバッキー」ですかね、国はロシアですけど。20世紀初頭の神智学の教祖ともいえる存在で多種の助言や予言を残しています。現在はその内容はほぼインチキという事ですが「21世紀は星が動き、今までの1が多数になる。それは魚座(キリスト教)から牡羊座(多神教)の世界になるからだ。そして男性的価値観から女性的価値観の世界になるだろう。それは混沌である」と予言しています。どうでしょうか、当たってるような気がしないでもないですけど(笑)これは占星術的に言えば既に解りきってた事だともいいます。でも単なる占星術なんですかねえ。。。

「マダム・ホーリュー」は夏美を縛り悪霊払いの呪文を唱え、清水(聖水?)を無理やり飲ませる

この場面、オリジナル日本版だと水を飲ませる前に不動明王の真言を唱えているのです。「のうまくさんまんだー ばさらだんせんだー まーかろしゃーだー そわたや うんたらた かんまん」唱えながら回る。知らない人には「呪文唱えとるな」くらいで、何の事やらわからないことでしょう。その点英語版は「悪霊よ、その名を刻め・・・云々(英語わからない💦)」と言っているので日本番よりずっと解りやすいでしょうね。ホラーのハリウッド・リメイクは日本映画では意味不明だった所をちゃんとわかるようにする、という特徴がありますからこれもそうなんでしょうか((笑笑)

・・・と他にもありますが、今日は転んだ膝と肘が痛いのでこの辺りで…失礼します。。。

言霊の助くる国

今日は少々心が痛む事があり、気が滅入っておりますです。

・・・って、こんな事を言う(書く)と言霊が発動して「実際にそうなってしまう」のが日本思想。

言霊というのは最近多くの漫画なりラノベなりで扱われておりますのでもはや周知かと思いますが「言霊」が日本に与える影響はかなり大きいとのことです。ま、身近なところでは飛行機に乗ったら「落ちると言うな」受験の時に「落ちる」「すべる」は使わない、結婚式の時には「別れる」「断つ」「切る」を使わないのでケーキには「入刀する」と言うわけです。って悪い面ばっかの言霊ですが「良いこと」を言えば良いことが起こるというプラスの面もあります。受験ならば「勝つ」「受かる」「入る」などの縁起を担ぐのがそんな例ですね。これを「言祝ぐ」(ことほぐ)と言います。
これを政治にあてはめて「9条があれば戦争にならない」を信じる集団はややもすると「言霊」信者なのかもしれないという論があります。現実を見ず「憲法の条文=言葉」があれば「戦争=悪いこと」は起きない、う~ん「言霊信者」かもなあ。
こう考えると戦中の「攻撃一本やり」な軍の思想も言霊的なのかもしれません。日本軍が攻撃を大々的に重視して防御を軽視していたのは多くの識者が唱えていますが、これも「防御=攻め込まれている状態」だからこんな悪いことは考えたくない(言霊的発想)・・・という事だったかもしれませんねえ(💦)
ちなみに当時連合艦隊航空参謀だった千早正隆氏は「…大艦巨砲主義の弊害かもしれないが『攻撃』には人材も施設も投入するのだが一転して『防御』になるととたんに軽んじられる」と証言しているそうです。またレーダーは『防御兵器』と位置付けられていて、日本でも八木レーダーという研究が戦争前からされていたのに「防御兵器」だからと軽んじられたと言います。これには海軍技術研究所の荒川浩氏が「・・・昭和19年後半あたり、軍人たちは『電探で負けた、電探で負けた』と言い張るようになった。それまで電波探信儀に対して(防御兵器だからと)あれだけ冷たい仕打ちをしておきながらです」と言った証言も残っています。。。
まあこれらのすべてを言霊のせいにはできないと思いますが、ある影響はあったのかもしれません。でもま、ドイツでもヒトラーなんかが当時は革新的なジェット戦闘機のMe262に爆撃性能を持たせろ(攻撃重視)と命令したそうですしね~。ただ「9条教」は「言霊」に見えるかもなあ(笑)

言霊の思想は世界中にありました。呪文がそうですもんね。呪文がない呪術はかなり少ないと思いますし。一時流行った「引き寄せの法則」なんかも言霊っぽい。(でもやっぱりキリスト教的ですが)アメリカ人でも映画を見ると飛行機に乗れば「落ちるかも、なんて不吉な事言うな」って人が出てきたりします。でもやっぱり言霊の影響は日本が一番強いかもしれません。なんせ復古された古神道はその重要な教義として そのまんま「言霊」が出てくるわけですから(微笑)

つまり日本は「言霊の助くる国」であり「言霊の幸和う国」(万葉集)なのだなあ~と思いました。だって言葉は痛いですもん(😿)傷つきます。・・・つくづく「男と女」は考え方が違いますねえ・・・実感しました。

(・・・って、これが言いたい為に毎度ながら前置きが長すぎました💦)

好きすぎると・・・「罪」?

2日ほど前から何故か胸に痛みが走ります。でも筋肉痛のような痛み。胸の病気っぽくないので病気で瘦せていたのに(といってもたかが知れてますが)また太っりだした事が原因かなあと思っております。

ずっと横になっていたので時々色々な掲示板などを覗いておりました。ちょっとだけですけど書き込みなども(笑)で、つくづく思ったのは「好きというのは盲目」ですねえ。ま、「恋は盲目」などとも言いますが「好き」という感情は「強情」なのかもしれません。またまた歴史の話になっちゃうんですけど、今回ではなく以前、「豊臣秀吉大好き」みたいなハンドルネームの方とやり取りしたことがあります。

関ケ原の合戦というのは実はとても複雑で一言では語れないのです。例えば司馬遼太郎の「徳川家康」は単行本一冊でまとまってますが「関ケ原」はぶ厚い本の上下2巻。関ケ原より家康の人生のほうがまとめやすいのです。その関ケ原の関係性で秀吉子飼いの家臣団内での文治派と武闘派の対立というのがありました。

武闘派というのはもちろん軍人で福島正則や黒田長政、加藤清正など戦上手の大名。対して文治派というのは政策や行政が上手な行政官タイプ。石田三成や増田長盛、長束正家などの大名です。得てして、こういう大名は戦は下手でした。

当然両派はソリが合わず武闘派は「槍の持ち方も知らんくせにソロバンだけで成り上がりやがって」「命を懸けて豊臣家を盛り立てたのは我々だ」という思いがあり、一方文治派は「槍を振り回すだけが政ではない」「戦を際限なく続けるわけにはいかない。民生や行政を確立させ豊臣家を存続させなければならない」という思いがありました。実際、豊臣政権が安定するといわゆる「軍人」はあまり必要ではなくなり、むしろ「行政官」が重用されるようになってきます。武闘派としてはますます面白くない・・・という事態です。その対立につけこんだのが徳川家康で「関ケ原」の重要な一大要因でした。

石田三成の大親友に大谷刑部(吉継)という大名がいました。石田三成は当然文治派の代表格。しかし大谷刑部は秀吉が100万の大軍を任せてみたいと言わせたほどの戦上手。つまり武闘派でした。しかし石田三成が徳川家康の横暴が許せず戦に臨みたいと一番最初に相談を持ち掛けたのはこの武闘派の大谷刑部だったらしいのです。その時大谷刑部は石田三成に忌憚のない意見を言ったそうです。「そんな戦をすれば君は必ず負ける。何故なら、君はまず決断が遅い。そして人望がない。なぜなら人を怒らせる名人だ。対して家康は多くの大名の信頼を得ているし海千山千の武将だ。無謀な戦だ」普通だったらこんな事言われたら怒るでしょうけど親友なんですねえ、三成はそれでも意見を求めたそうです。すると「しかし君がどうしてもやる、というなら自分は命を懸けて君とともに家康と戦う」実際1500という小勢ながら大谷軍は関ケ原で奮戦し最後は戦死(切腹)しました。

むしろ家康とは親しかったと言われる武闘派大谷刑部がなぜ人望がない文治派の石田三成と大親友になったのか。

それは秀吉健在の頃の茶会に遡ります。大阪城で茶会が催された折の話。客はお茶を回し飲みするのですが大谷刑部の番がきました。これは有名な話なのですが大谷刑部は業病(ハンセン病)を患っておりました。その時茶碗に顔から膿が一滴、ぽちょんと落ちたそうです。次に座っているのは石田三成。三成は顔色も変えずそのお茶を飲み干し、次の席の大名に「うまかったものだからすべて飲んでしまってかたじけない。次の方の分からまた新しく茶を立ててもらえないだろうか」と言ったそうです。このことから大谷刑部は三成を親友とするようになり最終的には家康にはつかず負けると言っていた三成について戦い死んだのです。

前置きが超長かったですがここでやっと仮称「豊臣秀吉大好き」さん登場。この話をしているときに「そのお茶を飲んだのは石田三成ではなく、豊臣秀吉という説がある」とおっしゃった。う~ん、かなり無理があるような気がする。。。その当時豊臣秀吉は天下人。そんな方が大谷刑部という小大名の「次」などという事があるかしらん?同じ茶会に客として出席していたら「一番最初にご賞味」じゃないのかしらん?・・・ただ、茶会の事をよく知らないのでそういう事もあるかもしれないので書き込みはしませんでした。でも・・・4~5万石の小大名のあとが天下人。。。腑に落ちないのですが「それが秀吉だ」と他の人の書き込みに返答してました。。。

信長の資料「信長公記」は信頼性が高いと言います。何故なら信長のみっともない敗戦や悪いことも書かれているから(これだけが理由じゃないですが)しかし「太閤記」は薄いと言われます。まず太閤の検閲が入った可能性が高いらしいということ、信長時代の成功のほとんどが秀吉の手柄になっているという事が理由らしいです。「豊臣秀吉大好き」(仮称)さんもそういう流れなのかしら・・・。

でも振り返ってみれば「○○好き」な方には「恋は盲目」な方が多いように感じますねえ、仮称「豊臣秀吉大好き」さんに限らず。。。三国志好きさんなんかにも否定されるととんでもなくすごい方がいたりしますもんね。振り返ってみれば、自分もそうかも。なんか心当たりが一つあったりします。。。。。。。
♪パンツ占い♪
今日のパンツ占いだよ!
thanks font:S2G
プロフィール

ふじさきまこと

Author:ふじさきまこと
エロ漫画家 藤咲 真です。


単行本は過去12冊
(単行本化されていない作品集めると2〜3冊分ありますけど・・・)

fujimako(A)amail.plala.or.jp
お手数ですが(A)を@に変換してください。
お仕事依頼もここへどうぞよろしくお願いいたします。

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